度量衡(どりょうこう) ②
日本の度量衡は、701年の「大宝律令」から始まった制度である。この「大宝律令」に携わったのは、刑部親王(天武天皇の息子 天智天皇の甥)・藤原不比等(藤原鎌足の息子)等である。
その後、時代が過ぎると共に、度量衡の基準がばらばらになってしまった。つまり、人間が決めたものは勝手に書き換えられるということだ。その後、豊臣秀吉の「太閤検地」(実際は石田三成がプラン化したらしい)の際に、1間(1けん)の長さ、1反(1たん)の大きさをほぼ統一したのである。
天下を統一するということは、武力だけに止まらず、度量衡の基準も統一しなければならないということである。
※ 写真は滋賀県長浜市の「観音寺」で撮影
三成が秀吉に3杯のお茶をたてたお寺(三成小僧時代)
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