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2014年7月

広島県本部講習会

ようやく全県梅雨が明け、夏本番の中、例年通り広島県本部講習会(第1回本部講習会)が開催された。

最近、会員の先生から「低学年の生徒が増加している」と聞かされる。これは実に嬉しい言葉である。それに反して、一般の先生(会員外)からは、「そろばんの入会者が減っているので、あと数年で塾を辞める」という話が多いことだ。

これは、世の中のマーケティング事情と同じように二極分化が起きているが、事実は指導者が時代に合った勉強をしないことだ。もう技術だけで珠算が成立する時代ではない。

今こそ、指導者の育成は最重要なのだ。とくにこれから先、何十年とこの世界で生きていくならば尚更考えた方がよいだろう。

つまり最悪の選択は、「中途半端な生き方」だ。

いったい何がしたいのか、何を目標にしているのか分らないまま過ぎていくことは、生徒にも迷惑がかかる。

その点をふまえて、再度自分の指導法を見つめ直して欲しい。

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仲間たち

日本では昔から「仲間たち」というのがいた。自分は舟木一夫が歌った「仲間たち」が頭を過る。

この「仲間たち」は、パートナーでもフレンドシップでもなければ、ブラザーフッドでもない。大抵は自分の弱点を共有する連中のことである。

SSKCLUBは、正にこの「仲間たち」がぴったりの集まりである。

同じテキスト、指導方法を共有する者同士が親しくなって、相手の短所も認めて許しあえる仲、心が本当の意味で溶け合う仲間である。それは同時に相手の長所をひっぱり合いをせず、お互いにそれを伸ばしていけるということだ。

したがって、年功序列もない民主的な組織を目指していきたいというのが自分の考えだ。

イタリア人は、三人集まると、それぞれが長所を消し合って、最終的に何もできなくなると言われている。つまり、ヨーロッパ人には、「仲間たち」が存在しないということだ。

明後日、広島県本部講習会があるが、講習会以外にも仲間たちと語り合うことは、至福の時でもある。暑い日が続いているが、頑張って行ってきます。

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スタート

7月27日(日)から今期の本部講習会が始まる。

今年はスペシャル学習会・外部講習会など20本の講習会を予定している。また、『新解説&解答書』、『新テキスト』の制作もあるので、日々心して取り組まなくてはならない。

ただ、「何事も準備を怠らない」のが自分の長所であり、これが心のスタートとなる。

1年後、瑞々しく美味しい果実ができていることを祈って、これから暑い夏を乗り越えます!

(来年の全国と『テキスト』の二刀流で制作中です。ご期待下さい。)

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表彰状

全国大会で西尾市長から「表彰状」を頂きました。

自身2度目となりますが、今回は特別の思いがあったので、前回とは違った意味で、感極まって涙が出る寸前だった。(こらえました!)

人にはそれぞれ「自分史」があるが、この年齢になると特別に大きな出来事はなくなるのが世の常である。しかし、社会性のある仕事に邁進すれば、まだまだ感動もあるということだ!

父親からよく言われた「責任ある行動をとれ!」自分はなかなか守れなかったが、ようやくそれが実現でき、やっと一人目前になれたかなと思う。

同業で父親を乗り越えるのは、偉大であれば尚更難しい。評価は他人がするもの。

今後も奢ることなく、自分史を作りながら、子どものしあわせのために「勉強あるのみ」です。

宜しくお願いします。

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全国大会無事終了

暑い日差しの中、全国大会が開催された。(正直この天気は奇跡かもしれない)

今回初めて『テキスト』と「学習指導要領」を照らし合わせて、テキストが如何に「算数教材」なのかを理解して頂く、よい機会になったと思う。

冒頭、子どもの発達を「初発年齢」「平均年齢」「限界年齢」の三段階に分けて、学習開始年齢によっては、「発達の障害」や「発達の遅れ」が生じることを述べた。

つまり、学習は「早ければよい」というものではないということだ。

特に幼児は、五感から物事を理解する。(先日のブログ参照)この誤りに気が付いていない珠算指導者がこの世に沢山いる。これは正直、子どもの人間形成を無視しているようなものであり、この点は特に注意して欲しい。

さて、1年生の算数は4つの領域から成り立っているが、この中で一番最初に学習するのは、「数」である。この数が理解できなければ、計算も量と測定、数量関係も分からないのだ。

ここを飛び越えて計算を覚えさせて「よいか?」「わるいか?」は、指導者の哲学の範疇になるから、どうにもならない。

しかし、子どもはやがて成長する。その時、指導者の技能と哲学に疑いを持ち始める。

これが「教育の還元作用」なのだ!

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現実を見る

台風8号も去り、土曜日の全国大会は予定通り開催となる。

最近の全国は、新テキストの解説を中心に展開してきたが、今回はテキストの基となる算数と絡ませながら講話する。

1年生の子どもを教えていると、「基礎学力があるか、ないか?」で、そろばんの進度も大きく変わってくる。

広義の基礎学力とは「国民が学ぶべき最低の学習内容」であるが、それは「読み書き、そろばん」と解釈しても問題ないと思われる。これは学校や社会において学んだりして、生きていくための基礎の基礎の能力である。

例えば、国語は、言葉による人間教育が基本であり、豊かな想像力、思考力、さらに客観的に要約できる力などであり、算数では、数理的にものを捉える力、筋道を立てて考える力などがある。さらに問題を論理的に認識する力が、ここではさらに重要となる。

このように考えると、珠算はあまりにも奥のない教育となる。今回はこの点も含めて、珠算の現実をしっかり見極めるように聴講して欲しい。

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進化の同調

先日TVで、愛知県犬山市の「日本モンキーセンター」のチンパンジーの生態実験を放送していた。人間はもともとチンパンジーから進化したが、今でも遺伝率は98%と高い数値が保たれている。

確かにチンパンジーは骨格の違いから会話はできないが、五感の情報は、まるで人間並みである。したがって、簡単な順序数などは視覚的に捉えることができる。また、色の識別も理解できる。

数は「いち・に・さん」の数詞が用いられるが、チンパンジーは数詞に替わるものを提示すれば処理できる。これは、幼児の数の認識と非常に類似しているように思われる。

数の認識は進化の過程からみても、物を触り、物を目で見て、それを繰り返しながら学習するため「KIDS」は、改めて重要なことだと思う。

土曜日に開催する全国大会では、「計算の土台をどのように作り上げていくか」をしっかり講義したい。

後は天気を祈るだけ。

さらば「台風8号」!

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個性

『KIDS』の中で、「りんご・ぶどう・みかん・・・」を果物、「なす・玉ねぎ・大根」・・・を野菜と分類する学習がある。

りんご・ぶどう・みかんは、「木のもの」(原始日本語)だから同じ仲間となるが、りんごにもいろんな種類があるので、ひとことにりんごと言っても、1個1個は全て異なるものである。

つまり、逆な見方をすると、1個1個違うものが、要素を抽象し、分類が成立している。このように、個は独立して捉えることも重要である。人間も大人・子供・男・女と分類しても、元は一人の人間として捉えなければ、人間の尊厳は保たれない。

したがって、子供一人ひとりが違っているのは、むしろ自然なのだ。それを変わっていると見るのは、カテゴリーの意識が強く働くからである。人と違っているならば、それを「個性」と捉えることが、今の時代では非常に大切なのではないだろうか。

自分もよく人から変人と言われるが、これは「個性」だと認識してほしい。

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合理性

「そろばんを習うと暗算力が養われる」と言われているが、これは、そろばんを使って正しい計算(行為)が、技術的に万全であれば、間違いなく素晴らしい結果が誰にでも得られることである。

しかし、「教える」ということについては、必ずしもよい結果が出るとは限らない。むしろ、一定のリスクを背負っていることを自覚しておくことが重要である。

教える者がいるということは、同時に学ぶ者がいるということだ。つまり、売買のような形式と捉えた方が分かりやすいかもしれない。

教える者は、とにかく「早く計算ができる」ようにさせることに重きを置くが、これは教える者の「合理性」に他ならない。

反面、学ぶ方は、教える者の合理性より、実は感情的なところに意思を働かせている。これが大人になった時に、「先生の指導法」だけが記憶に残っている証拠である。

教える者が自分の合理性だけを主張しても、学ぶ者の行為は必ずしも思い通りにはいかない場合が多々あることを、指導者はしっかりと認識した方がよい。

合理性には「知的合理性」と「感情的合理性」があることを知ってほしい。

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あと一週間

来週の土曜日は、待ちに待った全国大会。

個人的には1年で一番大切な日でもあり、1年のスタートとなる日でもある。

大袈裟かもしれないが、毎日が全国大会に合わせて生活しているようなものだ。

日頃の本部講習会も含めて、先生方に伝えたいのは、孔子の「知っていることは知っている、知らないことはしらないとして、素直な態度になる。これが知るということになる。」、この名言に尽きる。

いくら技術を磨いても、根本の意味を知らないのは、知らないことと同じである。つまり知識としては確立できないことである。

自分も知らいないことが沢山あることは事実である。これを素直に認めこれからの人生を楽しんで生きてみたい。

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未来を見据えて

人間と動物との大きな違いは、「現実には存在しない物事や出来事を想像する能力」である。この能力が携わっているから、われわれは未来を考えることができるのである。

某哲学者の言葉を借りると、「人間の脳は、先読みする装置によって、未来を作ることが最も重要な仕事だ。」(政治も将来に向けてのビジョンが重要である)

そろばんは「12+35」「12×4」など、算数原理を使わなくても答えを出すことができる。つまり、過去と現在だけで解決できてしまうということ。、存在しないものを想像しなくてもできてしまうので、そばんに数学的な要素はないと結論づけされてしまう。

だが、子どもが学校で算数を学ぶ時、そろばんと算数が融合していたならどうだろう?現在と未来が一本の線で結ばれる。これは人間学としても非常に大切なことだと思う。

人間を含め動物は未来に向かって生きているが、それは同時に成長して老いていくことである。老いても人間は後世に伝達する手段を知っていて、実はこれが社会において特に重要な点である。

したがって、珠算教室で学習している計算力を、実務計算に止まらず、数学的な計算にまで拡張した方が、子どもの「知力」は大きく成長できるということだ。

つまり、指導者の教育哲学が子どもの能力に大きく左右するということである。

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