« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

関東学習会

「ぱちぱち日記」にも掲載されているように、明日は「東京国際フォーラム」で学習会が開催される。今までは「千葉学習会」と考えていたが、会場が東京になったことや、参加者が50名も集まれば、これからは「関東学習会」と呼んでもいいだろう。

毎回、中島先生から送られてくる『レポート』を添削しているが、今まで自分が話したことや書いたことをしっかりまとめてあるので、ある意味、自分が講習を受けているような錯覚に陥る。受講者は「伊藤が話している」と捉えても良いほどだ!

また、参加者全員で講習会を盛り上げていくことが、今後の珠算界を広く世に広めることになるだろう。

今、『KIDSドリル』の解説を書いている(全国大会で講話予定)ことからも、今回の関東学習会は、聞き洩らさず習得することが重要である。

教える人間、学ぶ人間、同じ道を歩む者にエールを送りたい。頑張れ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

競争原理

人間には一人ひとりの顔が違うように、個々の能力差がある。「よくできる児童とできない児童は、遺伝によってある程度は決まっている。」しかし、そのことから人間の優劣が決るという結論には至らない。「競争原理は、自由主義社会における原理であるとともに、人間の原理でもある」これは、今から40年前に、自民党のお偉いさんが発表した有名な一節である。これが、現代社会においても正しいかどうかと言う点においては大きな疑問が残る。

40年前と言えば、珠算教育が全盛期の時代だし、政治家をえらく信用していた時代であるが、それが今の珠算にも通用すると信じていたら、これは珠算人の奢りであろう。珠算指導者が「KIDS」や「算数」を学ぼうとして、SSKCLUBに入会してくることを考えると、これが正しく現代珠算に対する答えではなかろうか。

指導者の育成が重要な鍵となることは言うまでもないが、SSKCLUBに入会しても「浦島太郎」状態でいれば、「宿命論」を唱えることと同様である。これは、自分に対して「遺伝だから仕方がない」と言っているようなものだ。

子どもの優劣を「宿命論」のようなもので片付けたら、珠算教育の営みや将来は停止する。目の前にいる児童のことを考えるなら、どんな時代でも「学ぶ」ことは大切なことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

実数のみの計算は危険

『テキスト』と一般的な『珠算教材』の違いは、『テキスト』は、「物体」→「実数」のプロセスがあるが、『珠算教材』は、はじめから実数を扱う点である。大多数の珠算の先生は、『テキスト』の体系に反対意見があるようだが、この根拠は何だろうか聞いてみたい。

例えば、「りんご2こと、3こを あわせて なんこ」かは、計数そろばんを使えば、幼児でも問題なくできる計算である。ところが、そろばんを使うと、「五珠」がネックとなる。

つまり、計数そろばんの5とそろばんの5は、明らかに物体が違っているのである。計数そろばんの5は、具体的分離量であるが、そろばんの5は、抽象的分離量(虚数的分離量)である。これを幼児にいきなり「5と理解せよ」ということは、ある意味無謀なことである。

また、2mや5dLなどは、この世に存在しないもので、それらはいつも物の「長さ」や、「かさ」としてしか実在しないものである。これに小数を含んだら、さらに難しい世界に入り込んで行く。0.2、1/2という実数だけを処理できても、それは単なるその場しのぎにしかならない。

何れ児童は算数から数学や自然科学、さらに日常生活においても、物体から量を扱うのだから、整数も小数を教える場合をふまえて指導し、実数からの導入は慎んだ方がよいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

田中そろばん講習会

今日は田中そろばん(株式会社新日本 SSKCLUB賛助会員)の講習会が開催された。テーマは、「幼児や1学年の重要ポイント」であったが、特にできない児童をどう教えるかについては、ズバリ「発達と学習」を一致させることに他ならない。

つまり『テキスト』を間違えずに導入することであり、幼児・1学年に何をしっかり教えたらよいかである。 日頃から「数概念・数観念をしっかり教えることが計算に繋がる」と話しているが、中でも「合成分解」と「十進位取り記数法」はそろばんの命なので、しっかり定着するまで先を急いではならない。

この2点が分かれば計算は自然にできるようになるが、この2点を定着させるために、『KIDSスペシャル』は欠かせないテキストである。KIDSスペシャルは、ただ単に『KIDS1~5』の復習版と考えるより、再認版と捉えて欲しい。幼児や1学年は、目や手で感じて数を認識していく点を考えると、「チップ」と「パズル」も重要な教具なので、指導者はこの点を十分に理解して、是非とも有効に活用して欲しい。

今回初めて受講する先生も多い中、最後まで真剣に聞いて頂き、ありがとうございました。今日の講習内容を心に焼き付け、今後の指導に一層磨きをかけて欲しいと思う。

Dscn0932_2 Dscn0933_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

KIDSドリル

全国大会に向けて『ドリル&テストの解説解答書』を書き始めた。『テキスト』とは違った角度の解説もあるので、頭の中の知識を搾り出している真っ最中だ。『KIDS』は、チップが重要な計数力を養う教具であるが、『ドリル』はそれを基に「たし算・ひき算」を展開している。

例えば、10+10の計算は、10という数が既に計数されているが、よく考えると、量は未測量から既測量へと転化していくものであるから、幼児期に既測量の計算ばかり与えると、連続量も同じように調節してしまう可能性が高くなる。つまり、25㎝と30㎜を足し合わせる場合も、25+30に一気に拡張されてしまうことだ。

これがいわゆる「形式不易」と呼ばれているものであるが、そろばんは、珠が分離量化されているので、単位をしっかり理解させないと危険である。ただ、逆に分離量化し易い長所もあるので、その点を上手く指導することがやはり大切になる。

『KIDSドリル№6』の「子どもが10人」は、誰が数えても10人なので、式に助数詞は不必要になる。とくに2番の問題は、なお更、助数詞は付けられない。

それより大切なのは、計数した後に演算の意味を理解させて、計数そろばんで操作できることを教えることであろう。

Dsc_0041_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

珠算教育と量について

算数は抽象性と論理性を学ぶ重要な学問である。重要な学問である反面、抽象性と論理性から沢山の児童を「算数ぎらい」にしていることも、まぎれもない事実である。

一例をあげるなら、算数を指導する際に、実在のものとつなぐ『量』を使うと、抽象性が具体性を持ち、尚且つ論理性を分かり易くするようになる。もっと具体的に述べるなら、0.8÷0.2のわり算については、(0.8×10)÷(0.2×10)=4と展開するが、これに量を加えると、0.8L÷0.2L→8dL÷2dL=4となり、量を用いると非常に分かり易く具体化される。このように、単位は換算だけに止まらず、小数のわり算にも威力を発揮する。

従来の珠算教育は、「具体的分離量」→「整数」→「小数」←「具体的連続量」の構造的なつながりが欠落しているので、児童にとっては「順序数」のように単一的な集合体になってしまう。珠算教育も空間的なものを存在させれば算数と簡単に融合できるが、実際問題として『分離量から連続量に繋げる教材』を具体化するのは難しいと思われる。

幼児・低学年に、是非とも「具体的な分離量」「具体的な連続量」をしっかり指導し、珠算を実在的な世界に呼び戻す礎を築いてほしい!と願う今日この頃である。

Dsc_0041

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

愛知県本部講習会

平成24年の最初の愛知県本部講習会も無事終わり、今年も順調に良いスタートが切れた。

先生方を教える場合、当然すぎることだが、大人も子どもと同じ「人間」である事実を、常に認識しながら話すようにしている。確かに、大人と子どもは成長上の大きな違いがあるが、同じ身体構造、同じ動作構造を持っているが故に、同じ情動構造からくる反応システムも同じである。

その証拠に、講話中に「話がわかる瞬間」は皆頷く。物を押せば動き、太鼓は叩けば音を出すのと同様に、瞬時に呼応する反応がかえってくるのだ。このような「はめこみパターン」は、双方が同じ目的をもっていなければ成立しない。

なぜ「会員限定」の講習会なのか?この意味も「双方の波長」が合えば、説明する必要もない。

Img_1950 Img_1955

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

心に訴える

正月に送った『メートルワールド』(検査用)も、3回目の修正で、やっと完成に近づいてきた。今回の修正で自分でも納得できるものに仕上がったので、「ホッ」としているところだ。

【写真は大幅な修正箇所】

Dsc_0044

『テキスト』作りは、確かに「苦諦」のように「知り尽くすべき苦しみ」があるが、世のため、人のため、自分のためだと思えば、少しは気持ちが楽になる。

詩の原意は「訴え」であるらしい。『テキスト』は、ある意味「詩」であるかもしれないと自負している。講習会でも「吼える」のは、これも実は「訴え」が根底にあるからである。今週の日曜日に後半戦の講習会が始まるが、あと9本の講習会も頑張って無事こなしたいと思う。

今年も「訴え」ながら1年過ごしていけますように!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

学習の味わいとは

乳児がものを口にするのは、人間は五感から物事を理解するメカニズムがあるからであろう。(感覚運動)幼児になっても、まだその名残があることから、幼児にものを教える場合も五感を大切にしなければならない。視覚や聴覚は遠くにあるモノを認識できるが、味覚は「体験性」のものであり、尚且つ、味わうことは精神的行動の兆候であり、発達的には精神的な人間形成の第一歩となる。

ある有名な料亭の主人が、「ものの味わいが判る人は人情も判るのではないのかと思いやす。人が働いてくれるということ、この情愛がわからん人々が多いさかいね。」と述べたという興味深い話がある。

サルトルも「認識、それは眼で食べることだ」という言葉を残している。

ものを食べたり・見たり・聞いたり・触れたりすることは、幼児期には重要な発達要因となる。したがって、「計数そろばん」「チップ」「パズル」を、見て動かしたりする行為は、知能の発達に欠かせない学習となる。ただ、幼児の能力は個人差があるので、見なくても「言葉」で通じる場合もある。この点については、指導者の判断が非常に重要になることは言うまでもない。

『KIDS』を学ぶということは、「よく咀嚼して味わう」ということと同じであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

注意と興味

そろばんの指導者は、往々にして「注意して計算しなさい。」という言葉を連発するが、この注意とは、「数字の読み違い」や「珠の弾きそこない」のみに限定した声掛けである。

子どもも先生から「注意して計算してね。」と言われれば、この点に関してはかなり集中すると思われるが、注意しても同じ間違いを繰り返す場合もある。

例えば「合成分解」「定位法」などは、法則を間違って理解すると、どんなに注意をはらっても、誤答は一向に減らないだろう。だが実際にそろばんが上手くなるには、注意することより、むしろ『正しい法則を理解させること』の方が大切なのである。

この法則を理解させるには、児童が『分かる喜びを見出し、興味をもってくれるような指導を心掛けること』で、SSKCLUBの会員も「学ぶ」ことから「興味」が湧き出し、講習や指導が楽しくなっていくが、正にこれと同じ原理であると思われる。興味を持たせながら指導することは、多元的なので非常に難しいと思うが、ただ漠然と「注意しなさい。」という一元的な指導法を慎めば、児童の能力は今よりずっと多元的に開花する。このコツを掴めれば指導は一層楽しくなるし、学ぶ側も同様の波長をもって、生き生きと授業に臨むようになる。

2012年はそんな授業形態を目指し、是非とも『良い先生』になってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

将来役に立つ珠算を考える

昨年亡くなったスティーブ・ジョブス(アップル社)は、自分と同世代の男性としても共感できるところが多い。

コンピューターと言えば、自分が大学時代に普及してきた機械であるが、その頃のコンピューターは、軍事兵器の開発や金融システムの複雑さを緩和する構築で使われていた。当時のコンピューターは、専門知識がなければ使えない上に、値段も高かった。 彼はいつも25年先の世界を見つめ、「技術は短期間で廃されるが、生み出された物語は何十年、何百年と受け継がれていく」と説いていた。 四半世紀経った今、コンピューターは 見事に普及し続けている。物語には感動がなければならないが彼の功績は偉大である!

また、彼はピカソの「優れた芸術家は真似し、偉大な芸術家は盗む」という言葉にも、かなり影響を受けたらしい。要は、この世にある五万というアイデアをどう創造していくかで、言うならば「巧の技を盗む」といったところであろう。

これを我々に置き換えて言うなら、昔からある「そろばん」と「算数」を融合して新しい物語を作っていくことで指導者が先ず「感動」しなければならない。この感動は、一部の児童だけではなく、沢山の児童にも通じ、必ずや将来役に立つ能力を養うようにしなければならない。何れ児童も25年先には親になる。その時代に、きちんと残せる教育が重要であることを理解して欲しい。自分も含めて先生方も同様に、大いにknow-howを盗んで欲しいものだ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

今年もマイペースで

明けましておめでとうございます。

今年も例年通り、「子どものため」「珠算の発展のため」に、マイペースで健康に留意しながら頑張りますので、宜しくお願いします。

現在、塾は冬休みに入っているが、今日から「SSKCLUB」の仕事を開始した。『テキスト』は、物理的に限界があるので、近い将来「打ち止め」になる可能性も否めないが、「指導者の育成」に関しては、命ある限り続けたいことのひとつである。なぜなら、自分の周りにはまだこれから色々なことを教えなければならない人が沢山いるからである。

「1年の誓い」など新たな思いは特に無いが、1年の始まりも終わりも同じ気持ちでいられることは、とても幸せなことである。あらためて、児童や先生方に感謝したい。

とりあえず、今年もよいスタートができて良かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »