思考力
多くの教育評論家は、「日本の環境が日に日に悪化する中で、子どもたちは自主性を失い、感受性を奪われ、自分で考えようとしなくなった。」と述べている。
子どもを取り巻く現状や実態について、彼らの意見は、驚くほど一致している。
同様に、他人のことは眼中に無く、身勝手な行動をとる大人は、ただ刹那的な快楽を求め、衝動的な行動に走る傾向がある。
よく、「やればできる」と言うが、これは、考える力が無いに等しい意見である。なぜならば、「やればできる」というのは、目の前にある「実行次元」だけ捉えていることに他ならないからだ。
例えば、合成分解でつまずいた場合の「できた・できなかった」に対し、算法のみ教えてOKとするならば、これは余りにも抽象的な指導である。
本来、できなかった問題は、子どもの様相が的確に捉えられるようになるまで、十分に細分化して指導する努力が必要である。
できなかった子どもに対し、ただ「考えてほしい」と言っても、子どもは「何を考えるのか?」が分からない。これはむしろ、子どもの気持ちを無視した言葉になる。
「思考力」には、生起にある長さに比例するだけの時間的な経過が必要であり、また、心理的な要因も大きい。つまり、この配慮が無ければ良い指導者にはなれないのである。
子どもの思考力向上を目指すのであれば、先ず講習を受講し、実践する中でテキストを使いこなす努力をすること。
この時間を作らないと、子どもの思考力は向上しない。
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