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2009年12月

今年最後のブログ

朝、『会報25号』を発送した。元旦に届くと思うので、自分の「新年の挨拶らしくない挨拶」を読んでまたコメントでも下さい。

『ABACUSパズル』の『解説&解答書』の原稿も昨日徹夜して書き終わったので、あとはこのブログを書いたら、今年の仕事は全て終わりとなる。

「3年間日記を書き続ける人は大物になる」といわれているが、このブログも3年間は続けないと、「小物」で終わってしまうので、来年の今頃も続けていられるように頑張ろうと思う。とは言うものの、ブログの継続はかなりのエネルギーを要すのが事実である。

「一年の計は元旦にあり」というように、物事は最初のスタートが肝心である。これは、「指導や学ぶこと」に置き換えても同じことが言える。

加えて、「良い指導者として伸びる秘訣」は、『新しいことを素直に受け入れられるかどうか?』だと思う。自分に素直にならなければ、人の話なんて聞けるわけがない。

人間は迷ったり、忘れたりする動物である。その時にポンと背中を押してもらえれば、直ぐに歩き出せるものだ。SSKCLUBに入会しても、なかなか歩き出せない先生もいるが、来年は先人に続いて『素直に学んでみたらどうだろうか?』これを実行できれば、案外簡単なことだと思うはずである。

要は、『順応力と行動力のみ!』

来年もSSKCLUBをよろしくお願いします。

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友達って何?

珠算の「合成分解」の補数を指導する時に「ともだちはいくつ?」という教え方をよく耳にするが、果たして「ともだち」を覚えれば合成分解が上手く計算できるようになるだろうか?

合成分解の指導法は、自分がこの世界に入った頃から論争していた問題だが、「これだ!」という解決策を聞いたことはない。したがって、「ともだち」の教え方では児童は分からないと思う。

珠算には、「5の合成分解」と「10の合成分解」があるから、例えば1の場合、「5の合成分解が4」、「10の合成分解が9」と、ともだちが2人(?)になる。ある時は4で、ある時は9になる。(怪人二十面相か!)

合成分解が分からない児童は、実は補数だけが問題ではない。「どの計算の時に、どの補数を使うか」も分からないのである。

さらに深刻なのは、ともだちは覚えたが、6+7や13-7の計算で、いつも間違えることである。

●6+7の計算の場合

6を布数して7をたす時に、先生から「7のともだちはいくつ?」と補数が分かっているにも関わらず質問される。頭の中では「3」が意識されるのだが、目の前には、「そろばんの珠の3」が運悪く見えている。この3を本来引くわけであるが、それより補数を強調されるために「3を入れてしまう」のである。まさに、『ともだちが悪友になってしまう』わけである。

一度誤った計算をすると、もう何が何だか分からなくなる。あげくのはてに、13-7でも同じように悪友が登場してくる。この誤答の修正は、覚えるより時間がかかり厄介である。

そこで、1+9、2+9→5+9を順番に計算すると『5+9が他の合成問題と変わらない(統合的)ことが理解できる』ようになる。

つまり「5から1をとる」という意識が強く働くわけだ。

次に2+8、3+7、4+6と展開していくと、6+7は無条件で通過できる。「わかった」ということは、これから先も誤りがないことを保証しているようなものである。

★ 補数が分からないからといって「ともだち」を覚えさせないこと

『パズル1 P14』でも「数観念」を養うように配慮されている。数観念を早い時期に学習させておけば、合成分解の誤答は全く問題ないことなのである。

それでも誤答が出るならば「指導が悪い」(従来の教え方が出る)と素直に反省すべきである。この反省がない限り指導者(SSKCLUB)の成長はない。

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右脳と左脳

『ABACUS2B』のP10に、50-40、60-40、70-40、70-30の計算がある。

テキストのひき算では、50-40の場合、図のように50円玉をはらって「おつり」の10円をもらう計算方法を使う。これは実に理にかなった操作である。なぜならば、日常生活において、買い物をして「おつり」を先に渡すことはあり得ないのだから。

対する従来の珠算の「運珠法」を使って計算すると「10を入れて50をはらう」ということになる。これではひき算のイメージが全くつかない。つまりこの計算方法では算数にならないのである。

ましてや珠算の算法では「おつり」と「残金」の意味合いが違ってくるので、イメージ力が大切な低学年にとっては、なおさら混乱を招いてしまうことになる。

カルフォルニア大学のスペリー教授が発見した「右脳・左脳」の原理からも、右脳→左脳と働くことが記されている。

「60円もっています。40円のチョコレートを買いました。残ったお金はいくらでしょう。」という問題も言葉と数字だけで問題を読ませても1年生の能力ではさっぱり分からない。

ところが、買い物の場面をはっきりイメージ(『テキスト』)させると、文章(左脳:理詰めに考える脳)がイメージ化(右脳:イメージの脳)される。

このようにイメージ化された問題が『テキスト』にはたくさん出題されている。イメージ(絵)→言葉(文章)→イメージ(珠)→言葉(数字)と繰り返すことによって、右脳・左脳の双方に情報が伝達され自然と鍛えられていく。

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合成分解がどの段階で理解できないのかが分かれば、解決方法は楽になるが、「運珠法」だけで教えていれば、「覚える」しか解決方法は無いのである。

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二流からの脱皮

そろばんは江戸時代から「計算器」という役割を果たしている。そろばんは計算器であるが、計算は人間がする。暗算はそろばんを使わないで、人間がそろばんの珠を写像して計算をする。結局、そろばんは人間が優れていないと使い物にならない道具ということになる。

人間が優れていないと上手く処理できないとなれば、計算器としての魅力も価値も半減してしまう。それならば思い切って、「計算器という役割を外して、違った使い方」をした方がよいのではないだろうか?

「そろばんを算数に役立てる」、この考えは昔からあったが、なかなか具体化されないでいた。歴史がある文化は、新しく誕生したものを認めない傾向がある。言い換えれば、この間は、「二流視される」ということである。

今ある文化や産業は、全て「二流」から始まっている。つまり、今すぐ役に立たなくても一生懸命やることで、進歩や発展が生まれ、やがて花が咲き始めるようになる。

ただ、どんなにすばらしい仮説でも、時代に合わなければ受け入れてもらえない。最近SSKCLUBの反響が大きくなってきたのは、漸く世の中の要請と一致してきたからだと思う。

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謙虚

教材は作った人を知ると、その人の性格や癖のようなものが見えてくる。自分の場合、『テキスト』制作中はとにかく謙虚な気持ちで臨まないと、攻撃的な教材になるような気がしてならない。だが、これでは子どもに理解してもらえるはずがないと気付く。完成までは永遠にこの繰り返しである。

『テキスト』を学習させると、「ある日突然、できるようになる。」とよく言われることがある。これは今まで「五感」を使って学習していたところに「理屈」が後からくっついて合致したことが要因だと思われる。

だいだい幼児や1年生あたりに、「合成分解」の理屈なんか、そんな簡単にわかるわけがない。それを先生が、「はじめから理屈を捏ね回す」という意識で、何の矛盾もなく教え込むわけだから、児童は逆に五感など働く余地もなくなる。これが「わからなくなる入り口」だと思う。

「わかるとは一体何だろう」と真剣に考えたことがあるのだろうか?

創る、話す、教える、この三つにも「わかる」という共通点がある。つまりどのような場合にも、「わからせたい」」「わかりたい」という相互間の気持ちが一致することで、互いに謙虚さが自然に湧き出てくるような気がする。

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テキスト(2)

そろばんを習っている児童は、全て頭がよい子ばかりではない。テキストは2年生ぐらいの普通の児童が躓かないようなレベルで作ってある。

世の中に出回っているモノは「ニーズが無ければ売れない」という原則があるが、教材だってモノとして考えたら、非常に類似しているところがあると思う。このように考えると、『テキスト』を世に出す前に、時間を掛けて教材研究をするのは当たり前のことである。

有名料理店で活躍している料理人の本が売れているように、珠算の教材も、実際に現役で教えている人間が作った方が合理的だし、第一に教育的な焦点がブレないと思う。

『かけ算』のテキストならば、2年生が対象となるのが一般的である。でもこれが、「1年生でも分かる内容」であれば、間違いなく2年生の通過率は90%を超えるデーターが出る。

昔、中国の著名な詩人が「自分の書いた詩を発表する前に、近隣に住む老婆に読んで聞かせてみた。」という有名な話がある。つまり、老婆が「よくわかる」という内容であれば、それを世の中に出せば必ず反響があるということなのである。

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テキスト

「テキストを作ろうとした動機とは何ですか?」と質問されたことがある。

「子どものため」というのは目的であって動機ではない。創造に理屈はなく、極端な言い方をすれば「天命」のような気がする。理屈が先に働くと創造なんてできるものではない。創造は1%のインスピレーションがあれば、後はそれを続けるだけのことである。55冊の『テキスト』は55回、ただこれを繰り返しただけである。

『テキスト』を実際に子どもたちが学習した後に、実はこのような理屈があったのかと気づくことが多い。「SSKCLUBとともに」や「ぱちぱち日記」の『テキスト』の意味は、正にこの1%のことを言っているわけである。

どんなに世の中が変わろうとも、子どもの知識や知能の向上に役に立つ教材でなければ、「不滅」とは言えない。社会の変化に適応できなければ、世の中から淘汰されても仕方がないのである。

人間は環境に適応できる生き物であるため、今も滅びないで生きている。これが文明というものかもしれない。

年末になると、反省や来年の展望を考えるが、「大切なことは思ったら即行動すること」である。教育もマイナス思考の評論家になったら終わりである。そんな指導者についた子どもはひとたまりもない。

この教育を目指すなら、とにかく「理屈なんか考えないで学ぶこと」である。(学ぶ=教える)

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仕事

仕事には、「食わんがための仕事」と「好きでやる仕事」がある。この二つの正確な割合は分からないが、9対1か8対2くらいではないだろうか。ただ、「好きでやる仕事」の方が、割合は低いが質は高いと思われる。

「探究心」という言葉があるが、この原点は「好きであること」という以外はないと思われる。山好きに、「なぜ山に登るのか」と質問しても「そこに山があるからだ」と回答をする。別に深い意味があるわけでもないが、とにかく「登ってみたい」というものではないだろうか。

SSKCLUBの入会の動機も「テキストで教えてみたい」というみずみずしい気持ちが芽生えたからだと思う。この気持ちに年齢制限はない。

13歳の武将に家臣が「若さまはまだ幼なすぎますから、もう少し大きくなってから出陣なされませ」と忠告したが、「13歳のときが2度あるか」と家臣を驚愕させた。

教えることが好きで好きで仕方ない人間にとって、「待った!」は通用しない。これは無様な教え方が許せないからである。

仮に儲けることばかりを優先すると指導力も退化し、熱意も風化する可能性があるだろう。

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産業構造と珠算教育

コーリン・クラーク(経済学者)が唱えた産業構造は、次のように分類されている。

第一次産業(農業、林業、水産業)

第二次産業(工業、製造業)

第三次産業(商業、サービス業)

一般的に産業構造は、第一次から順に収益性が高くなると言われている。

珠算教育は第三次産業に入るが、収益性は極めて低い。また、第三次産業でありながら第一次産業のようなイメージが強いのは、珠算教育が国(政治)と係わり合いをもっているからであろう。学習塾が巨大化したのは、確かに時代の流れもあるが、やはり消費者の心理を上手く捉え、独自の教育体系を確立したからだと思われる。

珠算教育は文化や歴史があり、算数教科書とも深く関わりをもってきた。それは確かに凄いことであり、珠算教育に携わる者としても誇りである。

ただ、第一次産業が盛んな時代ならば、珠算教育も花形産業であったが、今や自動車産業も変革が起きている時である。これから創造性を重視するような第四次、五次産業がもし現れたら、もう珠算の計算器としての機能は完全にアウトになるような気がする。

多面的で適応生産性を考えておかないと、いつか絶滅動物のような跡を辿るような気がしてならない。

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会報25号

本日、会報25号の原稿が中島先生から届いた。

今回の内容は、役員の「新年の挨拶」、「出版の企画原稿」、「講習会のレポート」、「FM静岡放送出演記録」など盛り沢山の内容である。特に「出版の企画原稿」は、これから保護者向けに書き直す元になる原稿なので、先生方には『解説書』のようなものである。是非読んで頂きたい。

来年はSSKCLUBも10年を迎えるので、会報もこれから一新したいと思っている。会報の企画や編集は、傍から見るほど簡単なものではないので、会報に携わっている役員の先生方のご苦労を理解して欲しいと思う。

会報は正月中に届くと思うので、読んで頂いたらブログに簡単なコメントを書いて頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

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滋賀県本部講習会

昨日、今年最後の本部講習会が滋賀県の野洲で開催された。

風邪ぎみだったので、声が擦れてしまい、聞き苦しかったのではないかと思った。4時間4テキストとハードだったが、重要なところを重点的に話したつもりである。

講習も終わり、会報も印刷・製本を残すまでとなった。また、水曜日は『ABACUS10 解説&解答書』が発売されます。

今後の講習会は、『解説&解答書』をもとに講習(『解説&解答書』の解説)をするので、受講するなら必ず持参して欲しい。

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創造性

よく「創造性は、優秀とされている人よりも、学生時代あまり勉強しなかった人から出る」と言われている。これは詰めこみ主義で身につけた通り一遍の知識や丸暗記しただけの知識が、「制御」の役割を果たす一面を持っているため、ブレーキをかけてしまうわけである。

珠算が高度になればなるほど技術的な知識がたくさんいる。その知識に「珠算=算数」という考えは、新しく創造力や思考力が必要となるため制御がかかってしまう。

この制御は、子どもより指導者の方に強く働く。指導者は子どもを世の中へ送り出すために、「珠算教育」の公共性を考えておく必要がある。

将来、珠算を学習することで数学に制御がかかったら、悲しいかな、珠算の知識は、子ども達の血や肉とはならない。

『テキスト』は、確かに珠算の教材であるが、創造力や直観力も養うことができるように念じて作ったつもりである。

そろばんの技術が下手でも、子ども一人ひとりの気持ちは大切にしてやりたい。

明日は今年最後の「滋賀県講習会」楽しくやってきます。

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かけ算九九

算数で行われている「かけ算」は、単に九九を暗記し、計算ができるようになるだけが目的ではない。倍という見方から、かけ算が用いられる場面の背景にあるかけ算の構造に目をつけ、整数倍→小数倍→割合→比例の考えに発展させるような流れになっている。

SSKCLUBの教材は「SSKCLUBとともに」のブログで何回でも紹介されているように、算数と同じ体系をもっている。

例えば2年生で、「1つ分」「いくつ分」「全体の数」などの意味を十分に理解させる。これは『ザ・かけ算』もP5~9で同じように学習する。5年生では、割合の意味を、「基準にする大きさとそれに対する割合から、その割合に対する大きさを求める計算」と発展させている。この割合については、『小数2』から割合(小数倍)が導入され、『ザ・割合』でまとめられる。

このような考え方を土台に、「学習指導要領」で、時間をかけて丁寧に九九や九九表を構成したり観察したりしている。

珠算教室の壁に掛けてある、九九表からは「計算のきまりや性質」が理解できるようになるとは思えない。

もし教室に掛けるならば、記憶させるのではなく、算数的要素が見えるようなものにアレンジすることが大切だと思う。

親切が仇になることも算数にはあるので注意した方がよい。

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倍概念

算数のかけ算は、「1つ分の数」、「いくつ分」、「全体の数」の意味を、具体的な場面や操作を通して子どもたちに理解させるように教えていく。

そろばんは、実と法の組み合わせを桁数に合わせて作問がおこなわれる。この実と法は、算数では「被乗数(1つ分)」、「乗数(いくつ分)」という意味を持っているので非常に分かりやすい。ところが珠算では実と法に意味を含んでいないので、粗雑な言い方をすれば「計算さえ出来ればどっちでもいい!」ということになる。

また、算数では「同数累加」→「かけ算」→「何倍」という順で場面を式で表しその繋がりについても非常に大切にしている。対する一般的な珠算は「かけ算」の前後が全く存在しない。

SSKCLUBの『ザ・かけ算』の中には、「同数累加」や「なん倍」という問題もあるし、『小数1・2』と『割合』の算数テキストもある。

算数では「何倍」を連続量(長さ)から導入しているが、『ザ・かけ算 P4』は、「1年生でもわかるかけ算」を目標にして作ったので、連続量でなく「分離量」からである。

ちなみに「アメリカの何倍」も分離量からである。日本の算数は、将来の「小数倍」→「割合」に繋げるために導入が連続量となっているわけである。

「倍概念」が理解できることは、かけ算の目標であるし、「割合」にも繋がることである。以上のことから、珠算の「かけ算の導入にも意味をつけて」教えることが大切であることはいうまでもない。

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小数 解説&解答書

『小数 解説&解答書』が発売された。

『小数』は、小数の意味も理解できると同時に、「単位の換算」(量変換)も分かる内容で構成されている。

「新・学習指導要領」で「メートル法」が復活するので100倍、100分の1の換算は早い時期に定着させておくことが大切である。ただ換算においては「学習したらすぐできるようになる」というものではないので、『Lesson 10』や『小数2』で繰り返すことがいうまでもなく大切である。

まもなく『Lesson 10 A ・B 解説&解答書』も発売するので、合わせて学習して欲しいと思う。

小数の入口で迷ったら、出口がかなり遠くなってしまうので、しっかりした指導をして欲しい。

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メカニズム

『ザ・かけ算2』P12に、「あめを6こかいます。1こ8円のあめをかうとなん円になるでしょう。」という問題がある。

「8円のあめを6こ…」という文章より、確実に誤答が多い。

平成20年度「東京都算数教育研究会(都算研)」の学力実態調査で次の問題が提出された。

「子どもが3人います。みかんを1人に4こずつふくろに入れてくばります。みかんの数をもとめる式をかきましょう。」

このような被乗数と乗数の入れ替えた文章問題で、かけ算の立式の正答率は、53%である。

「九九=かけ算」という考えが強い指導をすると、このような誤答は間違いなく起きる。特に珠算教育は、形式的な計算が多いので、『ザ・かけ算1』のように≪演算の意味を理解し、その意味に基づいて演算決定できる能力≫を養うことが大切である。

パソコンも「エラー」が少しでも出始めると、いろいろなところに支障が起きる。「エラー」という表示さえも不快である。児童にとって誤りは「エラー」に等しいから、少しでも早く取り除いてやりたい。

珠算の低年齢化が進めば、「算数は難しい」という思いが広がる。パソコンでもメカニズムを理解すれば、これほど便利なものはない。これは算数でも同じことがいえる。

珠算と算数を分離して教えるより、融合した方が快適であるが、指導者が算数メカニズムを知らないと、どう導けばよいかわからなくなるのは無理もないことであろう。

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