見えるとは?
そろばん塾へ入学したての児童を見ると、当たり前のようにみんなやる気満々である。ところが、学習が上がるに連れてだんだんやる気が低下してしまう児童がいる。その第一の壁は、ズバリ「合成分解」である。
そもそも計算とは見えるものではない。そろばんは珠を使うことにより、数が見えるようになるから必然的にプロセスの計算も見えるわけである。それがイメージとなったものが、そろばんを使わないで計算をする「珠算式暗算」である。つまり、珠算式暗算とは映像(後頭葉を使う)の計算である。
そろばんの珠を、入れたり、はらったりすることから、数とプロセス(計算)が見える。それは、2+7とか12+36のような合成分解を含まない計算の場合に限られる。ところが、3+4、94+28などの計算には合成分解が含まれ、今まで「見えていた計算が突然見えなくなる!」 これは児童にとってはサプライズである!
この消えた数(計算)が見えるようになれば、児童の心理は安定する。珠算の先生は、殆ど現役時代「そろばんの達人」が多いので、児童はなぜ合成分解がわからなくなるのかと、あまり深く考えようとしない傾向がある。できる人間はできない人間の心理がわからないと同じであろう。(政治家と同じ)昨日のブログに書いたように「根性で乗り切る」ような発想が生まれるのも仕方ないかもしれないが、厳しい言い方をすれば珠算は学問というよりスポーツなのか?と思えてしまう。
では「見えないものは見えるようになるのか?」これは先生より、むしろ教材の力を借りた方が簡単に見えるようになる。長い間、合成分解が見えないままでいると、やがて児童はアンダーアチーバーになり、そろばんのやる気がどんどん低下してしまうようになる。その逆に数が見えるようになれば、計算がわかるようになり、オーバーアチーバーになる。もはや児童の能力は全開になり、珠算も算数も国語にも影響し始める。これが学問の連鎖というものである。
「教材はどれも同じ?」なんて考えているならば、この世から研究も要らなくなってしまうのではないだろうか。
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